グレイヘアをカジュアルに楽しむ

平成30年9月1日に白髪染めを卒業し、平成31年4月19日にグレイヘア完成しました。約七ヶ月の育成記録とグレイヘアにまつわるあれこれを、のんびりと綴っています♪(旧:白髪姫と七ヶ月の格闘たち)

母に白髪はあったのか?

(注)実話ではありますが、機能不全家族関係の記述があります。苦手な方は、閲覧をご遠慮願います。

母に白髪はあったのか?

 母に白髪はあったのか?

 ふと、思い立って、記憶を遡ってみた。

 母は30年前、50歳という若さで亡くなった。死亡診断書に記載された最終的な死亡原因は心不全、その原因は癌。大腸癌を患い腸閉塞を起こし、開腹したときにはすでに全身に転移しており、処置不能です、とドクターから匙を投げられた。

 残念ながら、この一連の経過は、ほぼ母の希望通りだった。最後に絶命することを除けば。彼女は、できるだけ悪化させれば、それだけ長く入院できると考え、ギリギリまで痛みに耐えた。

「できるだけ長く入院したかってん。あの家におるん、嫌やってん」

 病床で、母はこうつぶやいた。

 私の家族は、機能不全家族である。父が典型的なアル中にしてDV。家族は、彼が酒を口にするたび縮み上がり、できるだけ目立たぬよう細心の注意をはらうのだが、アル中はどんな些細なこちらの落ち度も見逃さない。

 ぶっちゃけ、ガンつけられたら、あとは彼の気の済むまで、なじられ殴られ蹴られ、という理不尽に耐えるしかない。反撃できるほどの体力を、子どもの私は持ち合わせていなかったし、母にいたっては、抵抗する気力は結婚当初から無かったようだ。

 そんな生活を長らく続けていたせいか、私自身は20代半ばからすでに白髪に悩まされていた。すぐに染めたけどね(笑)

 

 

 母に白髪はあったのか?

 ふと、思う。母が亡くなったのは、私が25歳のときで、だから私の20代前半というのは、ほぼ母の看病と家事全般、さらにフルタイムで働いて、という嵐のような日々だった。同じ嵐なら、相葉クンでも愛でられたら良かったのに(笑)

 とにかく忙しかったからだろうか。入退院を繰り返す母の髪色を、どうしても思い出せない。これまでの経緯を考えれば、白髪が爆発しても全然おかしくないと思うのだけれど、そんな印象が微塵もないのである。

 娘馬鹿だと言われそうだが、母は美しかった。白髪でやつれたような印象は全く無かった、はずである。

 だけど。

 冷静に思い起こしてみると、白髪とかは関係なく、母はずっとやつれていたのかもしれない。私を産んだ直後はたびたび実家に帰っていたらしいが、弟を孕んだときに、すべてをあきらめたのだと言っていた。

 そもそも私を産んだのは、お見合いの席で父に会った瞬間、この人大嫌い! と感じて断ろうとしたのに、今でいうところの強制ナンチャラの被害に遭い、母方の親族連中の「責任を取れ!」コールで無理矢理結婚させられたからだ。

 この場合の責任って、何だ?

 今でも納得できないでいる。でも、この納得できない事実の上に、私の生命は成り立っているのだ。

 

 母に白髪はあったのか?

 現在54歳の私は、自分の意志で白髪を育て、グレイヘアを楽しんでいる。その私が、母の病床を思い出すとき「やつれている=白髪」と連想するのは、なんだか違うような気はする。

 だけど、仮に母に白髪があったとして、当時の彼女にはそれを楽しむ余裕なんてまるでなかったのである。時代的にも、そしてなにより、当時の生活環境の中では、白髪は染めなきゃ「とすら」考えることができなかったに違いない。

 ましてや入院中、娘である私に「白髪染めしたいわー」なんて暢気なことを言えるわけもない。私自身に、それを受け入れる余裕もなかった。

 ただ、あらためて思い出しても「染めてあげたい」というような白髪は、母には無かったように思うのだ。身体はやつれ、痩せ衰えても、不思議と母は美しかった。

 もしも生きていれば、母は今年80歳になっていた。病に伏せる直前まで、地域のママさんバレーチームで楽しんでいた母は、きっと年齢を感じさせない美しさと元気さで、さすがにバレーボールはやめていても(笑)私と一緒に温泉巡りとかしていたんだろう。

 そんな想いを、母の日に、贈る。

 個人的な節目話で、申し訳ない。

 

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(母は父に対するストレスが溜まると、たまに台所で飲んでいた。「チキンドリンカーになったる!」とよく言っていたが、母よ、それを言うなら「キッチンドリンカー」だ。まぁ、インコ溺愛してたから鳥もアリなんだけど、それならせめて「チキンラヴァー」だわな。笑)